最高の自己肯定感
あるとき俺は悩んでいた。
いや悩みと言う言葉では軽すぎるぐらい、ぼろぼろに壊れていた。
今までの自尊心が全てぶち壊されたからだ。
それは、病気による症状により色んな能力が失われたこと、ひきこもり状態によるもの、親の罵倒、大学を中退したこと。
それらにより、大きな、、当時の自分にとっては大きすぎる人生の夢を失ったこと。
そんなことが引き金だった。
失われた自尊心を取り戻す為、私は書物を読み漁った。
そして考えまくった。
何を考えたか・・・?それは、どんな状況になっても崩れない自己肯定感をどうやって持つかについてだ。
役に立ったのは、マインドフルネスとACTとセルフコンパッションの本。
よく人は言う。
君にはこんないいところがあるじゃないかと。
だが足りない。私が欲しいのはこんな脆い自己肯定感ではない。
自分のいい所に着目してごらん?そのいい所は何らかの原因によって失われる可能性がある。
自分のいいところよりもはるかにいいものを持った人も確実に存在する。
それを失ったら、、、私の自己肯定感はまた壊れるのか?
それに、世の中には一つもいいところを持たずに生まれてくる人だっているかも知れない。
そんな人は置いてけぼりかい?
違うだろう?
私が欲しい自己肯定感は、そんな脆くて危ういものじゃないだろう?
そう、私が欲しかったのは、何物にも影響されない完全なる自己肯定感だ。
そんなもの、本当にあるのか・・・?
私は見付けた、と言うか気付いた。
何がなくてもいい。特技も、良いところもなくていい。
そう。いいのだ。
それこそが私が見出した、最強の自己肯定感。
存在そのものを祝福される、ということだ。
道端に咲いている花は、美しいから存在を認められるのではない。
ただ咲いているだけで、誰に存在を認められようとも誰に存在を否定されようとも関係なく、のびのびと花としてすでに存在しているのだ。
私は能力的にはダメダメかも知れない。
私より優れた人は身近にも沢山いる。嫉妬もする。
けれど、このダメダメな自分がとてつもなく愛おしいのだ。
たとえ自分が何者であろうとも、自分はここにいていい。
そして自分が勝負するのは、、、能力や肩書きではなく。
人となり。
私にとって、人となりこそが努力を注いで研ぎ澄ませていくべきものであり、
それによって人が自分を好いて近くにいてくれるとしたら、
それは素直に受け入れていいものだ。
ここに、何があっても失われないものが二つある。
一つは何がなくとも自分が受け入れられていると言うこと。
二つ目は自分の人となり。自分の魂の在り様だ。
前者に関しては、、私自身が他者の存在を無条件で受け入れられる人で在りたいと思っている。
勿論、現実にはなかなか難しいことでも在り、それがまた人に伝わるかどうかも難しいところだが。
いいのだ。あなたはあなたで。わたしはわたしで。